リーダーこそ低姿勢であれ

リーダーこそ低姿勢であれ

 

これは、本を読んだり、周りの人の言動を見たりしたことで得た個人的な気付きです。

リーダの役割について、ここでの定義をしておくと、全員を誰一人も置き去りにすることなく目的地まで引っ張っていくこと、です。

 

たまに勘違いをしている人が多い印象ですが、マイクロマネジメントをすることで”管理”をすることがリーダーだとか、厳しく強い態度をとって絶対的地位を保とうとすることがリーダーだとか、将又、他人の意見を聞き入れずに自分の判断が絶対としてプロジェクトを進めることがリーダーだという人がたまにいます。 

私の中ではこれはリーダーでもなんでもなくて、ただの”めんどくさい人”という位置づけです。なぜこう人が生まれるのかというと、日本のガチガチの内資の会社だとおそらくこの手の人が上司にいることはまずらしくもなく、この影響(印象)が世の中を勝手に渡り歩いてしまって、それを勘違いした人がそのような態度をとってしまう事に誤りが生じているのだと推定します。

(もちろん、もともとの人間性としてそうなっている人もいますが、この手のタイプはもうどうしようもないですね。)

では、なぜリーダーが低姿勢でなければならないのか。

リーダーが存在するという事は、プロジェクトが存在しているという事にほからなず、プロジェクトが存在するということは、0→1の何かを生み出すか、1→100の何かを創造するかこれらに匹敵する何かが動いていることになります。つまり、プロジェクトの位置付けとして、プロジェクトメンバー全員でプロジェクト発足となった理由と目的を期限内にローンチしていく必要があるということは言うまでもないですが、その中で必ずリーダーを担う人が出てきます。

プロジェクトメンバーとしては社会人のほとんどの人がなったことがある(知らずのうちに経験しているもの)ですが、リーダーというポジションは必ず意識した上で経験しているものです。つまり、リーダーはプロジェクトの中で全員が認識をする位置にいて、発信力や決定権を担う力が他の誰よりも(自然と)多くある状態にいます。

少し話がそれるかもしれませんが、いいプロジェクトとは何なのか。リーダーとそうでないメンバーの関係性がどういったものだと良いプロジェクトなのかということを整理すると、

リーダーがリーダーらしい言動を示さなくても全員が率先して行動し、しかも意見の交換が気兼ねなく出来るチームは多くの成果を出すことが出来ていることが多いです。一方で、リーダーがいつもファシリテーションをして、意見の提案をして周りには賛同のみを求めるようなチームはうまくいきません。リーダー以外全員が新卒で組まれていたりする場合は少し話は変わってきますが・・。ほとんどの場合は経験者と未経験者(経験浅い者)の割合はバランスよくとられていることがほとんどです。

つまり、いいチームとは何かというと、全員でプロジェクトを実施する上での課題や、意見/批判/アイデアを自由に発信し合える環境があるときチームがうまく動いていくんです。この時、チームの中での存在がはっきりとしているリーダーが高圧的、上から目線、偉そう、意見を聞き入れないといった人の場合、チーム内での意見など良いコミュニケ―ションは生まれません。

つまるところ、リーダーの役割というのはリーダーシップを発揮していくことは片手間で行い、チームメンバー全員がいかに意見を言い合える環境を作れるか否かという調節力があるかないかが何よりも重要なことだと思います。

 

結構難しいんですけどね、(笑)